その日もやはり雫が泊まりにきていた。このところの彼女はメンヘラ……と言えば聞こえが悪いが、正直ちょっと変になっていて、訳もないのに急に泣き出したり執拗に僕の行動を把握したがったりで手を焼いていた。かと言って簡単に別れを切り出すには難しい情も積み重なっていた為ズルズルと関係が続いていた感じだった。
その日の深夜2時頃だ。キッチンの方で雫が明かりを点けて何やらごぞごぞやっている物音で否が応でも目が覚めた。
「……おい、雫? 何やってんだ?」
「……」
動物本能的な、嫌な予感が背筋を伝う。
「ねえ。」
そう呟き、こちらに背を向け床に座っていた彼女がゆっくり半回転する。同時に自分の前に置いていた盥(たらい)のような物も動かした。
「私のせいなんだよね。私が悪いから、ちゃんと同棲さえもしてくれないんでしょ? 私の前世が殺人鬼だから。」
「……は?」
ふざけているのかと思いたかったが、鬼気迫る表情と喋り方がそれを許さない。
「占いでそう言われたの。
確かに私なんかダメダメだよ? ……ねえ、でも嫌だ……お願いだから一人にしないで!」
「さっきから何言って!?」
彼女の方に歩み寄り、盥が邪魔で移動させようと思った時だ。
「あつっ!」
指先に少し触れてしまい気づく。中には並々と熱湯が張られていた。
筆者 物部木絹子
【続きはこちら】
◆デリバリー物語《第11話 A》
「離れてよっ!!」
そう言うと雫は僕を突き飛ばす。
【ここまでのストーリー】
《第一話》(筆者 空志郎)
ピンポーン!こんばんは、ヤマト運輸です。お荷物お届けに参りました。
ピンポーン!ヨドバシドットコムです。
ピンポーン!アマゾンドットコムです。
ピンポーン!ウーバーイーツです。
ピンポーン!出前館です。
このタワーマンションはいつもこの時間、入口が混雑する。せっかく早く着いてもなかなか順番が回ってこない。
・・・・そしてようやくボクの番。ピンポーン!こんばんは、ウーバーイーツです。テイクアウトの品をお届けに参りました。・・・・「ありがとうございました」「またよろしくお願いします」。
今日のお客はラッキーだった。この分なら今回も高評価は間違いなし。うまく行けば高いチップもゲットできるかもしれない。でも今日の奥さんは少し様子が暗かった。顔の左側を見せないようにしてた感じもした。どうしたんだろう?ふと新一の頭をよぎったが、今日は時間がまだ早いので、新一は気にせずもう1件デリバリーをこなそうと決めた。
外に出ると、雨が降り始めていた。雨雲レーダーをチェックすると、雨雲は小さいが、断続的にやってくる予報だった。今日はもう店じまいにしよう。新一は自宅に帰ろうと決めた。
《第二話 A》(筆者 空志郎)
(別の日)
今日はどんな人に会えるのか。
新一はこの仕事をはじめて3か月になるが、人の生活の一部が垣間見れるこの配達の仕事が密かな楽しみになっていた。
コロナ禍でオンラインでやり取りすることが増え、めっきり他人と会わなくなったことも影響している。
以前はスポーツジムに時々通っていたが、今は密になり行けなくなったので、
もともとは体力づくりと新しいことをはじめる少しの好奇心が目的だった。
それが今は人間観察が第一目的になっていた。
お仕事開始。配達アプリをオンにすると、早速、近くのフランス料理店の注文通知が来た。店に行くと、料理は2人分、ワインも一緒に頼んでいる。ウーバーバッグに料理を詰め込み、新一は店を出発した。
《第三話 A》 (筆者 空志郎)
配達先に着きインターホンを押すと、中から品のある小綺麗な年配女性が出てきた。
いつものように軽い笑顔で事務的に注文の料理を渡そうとしたが、女性は少し人と話しがしたかったらしい。
「ここのフランス料理、本当に美味しいんですよ。お肉も柔らかくて、ソースも何度でも食べたくなる病み付きになるお味なの」
「ありがとうございます」
「3年前の金婚式の記念日に主人に連れてってもらったんだけど。。そのあと主人は脳卒中で車椅子になり、外出したがらなくなっちゃったからもう行けないなと諦めてたんだけど、この前、娘からこのフランス料理屋さんがデリバリー可能になったと聞いてね。。本当にありがとう。配達ご苦労様です」。年配女性は配達員に深く感謝した。
女性は新一をフランス料理店側の人間と少し混同している感じだった。ただ、新一は自分が料理したわけではないのに、ほっこりした温かい気持ちになった。便利の一端を担うだけと思っていたが、人のためにもなってるのだと感じた瞬間だった。
《第四話 A》 (筆者 三編柚菜)
新たな注文通知を受け取り、新一はペダルを強く踏み込んだ。
昨日とは打って変わった晴天の下、フランス料理店でのやり取りも相まって気分は透き通っていた。
だから、なのだろう。
新一の脳裏に、あの──顔の左側を見せないようにしていた──女性の姿が過ぎった。
緩い下り坂、ペダルから足を離す。 心地よい風に前髪をなびかせる新一は、突如呼び起こされた過去を反芻し、心が小雨に佇むような感に打たれた。
どうしてこんなにも引っ掛かるのか……。
疑問は霧のように、脳を支配する。
しかし、あくまで自分は一人の配達人にすぎないのだ。 プライバシーの観点からしても、独善的な考えで首を突っ込むわけにもいくまい。
多分、化粧の途中だったんだろう。
新一はそう結論付けて、視界に目的地を見付けるや再びペダルに足を乗せた。
どこまでも蒼かったはずの空を侵食する、遠方の鈍色にも気付かずに。
《第五話 A》 (筆者 物部木絹子)
イタリアン系ファミレス店の品を、閑静な住宅街の一軒家に配達し終わった時だ。再びペダルをこぎ始めた新一の視界に幾本もの細長い線が降りてくる。
雨だ。
ある程度の雨であれば制服は弾いてくれるが問題は頭だ……新一はヘルメットを持っていない。
(はあ……やっぱり原付免許くらい持っとくべきだったかなぁ)
こんな時だけ都合よく後悔する。
傘差し運転はまずい。コンビニにでも寄ってタオルを買って帰ろうと思ったがこの住宅街から店舗への通り道は、暫く行かないとコンビニさえない人気のない畦道だったのを思い出し、自然とため息が漏れる。
まるで今の天気のような気分の新一であったが、橋に差し掛かったところで欄干から下の川をじっと覗き込んでいる女を見つける。
新一は我が目を疑った。
女が激しさを増す雨の中、傘も何も凌ぐ物を持っていなかった……というのもあるが、それよりもその女が間違いなく顔の左側を見せないようにしていたタワーマンションの奥さんだったからだ。
《第六話 A》 (筆者 ユーハバッハ正義)
色々と思うことはあったが、新一は女を無視することにした。
悪人になるつもりはないが、歓んで善行をするつもりもない。トラブルに巻き込まれるぐらいなら無視してしまおうと思ったのだ。
新一はただ前だけを見て女の背後を通過する。これで何事もなく……
「…………」
髪をかき上げていたことを思い出した。そうだ、左側の髪をかき上げて耳に乗っけていた。振り向きさえすればあの奥さんの顔の左側を見ることができるのだ。
「…………」
もはや反射的に振り向いていた。
「…………」
「…………」
そして新一の目に映ったのは、顔の左半分を手で隠してこちらを振り向く女。
目と目が合った。
その目は欄干の下にある川よりも深い深い黒色に塗られていた。
新一は何事もなかったように前に向き直すと、変わらぬスピードで自転車を漕ぐ。
雨脚が強まったのを新一は感じていた。
《第七話 A》 (筆者 物部木絹子)
「……やっぱり、忘れてるのね。」
心臓が止まるかと思った。ほとんど耳元で聞こえたその声に反射的にブレーキをかけ、停止する。
恐る恐る、背後を振り向く。
さっきの女が荷台に横座りし、こちらを深淵に誘うような漆黒の瞳で見つめていた……顔の左半分はやはり髪で隠れている。
「ひっ……!」
新一は思わず女の肩を突き飛ばす。
女はバランスを取り損ない、水を弾くアスファルトの上に倒れ込んだ。
その時、女の髪が乱れ、遂にその顔の左半分が顕になった……酷い火傷の痕だ。
新一は驚きのあまり体が動かず、その場で荒い呼吸と瞬きを数回。
ほんの2秒も経っていなかったはずだ、だが目の前の女の火傷痕は顔全体おろか、服から出た出足や首にも広がっているではないか……!
「いっ痛っ!」
突然、まるで鈍器で殴られたような頭痛が新一を襲う。
(俺は……この女(ヒト)を知っている?)
女は立ち上がり、新一に告げる。
「……さっきも、飛び降りそうに見えたのに止めなかったね。冷淡なところ、やっぱり変わってないんだね。ねえ、私の本当に欲しいモノ、早く届けてよ。」
《第八話 A》 (筆者 物部木絹子)
頭の痛みに悶える中も女はまだ何かしゃべり続けているが、どうやら新一は聞くどころではない様子だ。
「お前は……雫(しずく)? いや、まさか! だって雫は確かに……!」
次第に新一を襲うものは痛みから胸の苦しさに変わっていった。
思い出したのだ。
胸を押さえ、何とか立てた自転車を支えに身を縮こまらせる。
「ちょっと、君、大丈夫ですか?」
パトロール中らしい巡査が声をかけてきた。
「……あっ、はい、ちょっと苦しくなって休んでただけなんで。もう……大丈夫です。」
巡査は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、怪し気な物も持っていないし、平静を装う新一は実際大丈夫そうに見えた為、深入りする事なく「滑らないよう気をつけて」とだけ告げパトカーを走らせて行った。
新一は一先ず家に戻ることにした。
途中、携帯が鳴る。Uber eats本社から【悪質な嫌がらせに対する注意勧告】といった旨のメッセージだったが、今は無視だ。
戻るや否や疲労が決壊する。気が緩んだのか、新一の目からは堰を切ったように涙が溢れ出した。
……雫は、婚約までした新一の恋人だった。
2人は同棲していた。仲も良かった。毎日が幸せだった。あの事件が起こるまでは。
――一方少し前、新一が宅配に行った高級タワーマンションの一室……
「ねえ、あなた。ホントにラーメン頼んだんじゃないの!?」
小太りで厚化粧、短髪にパーマをかけた中年の夫人がやや怒りを孕んだ声で問いただす。
「はあ? ラーメンなんてわざわざ頼むわけないだろ。しかも家に! というかいきなり何なんだ。」
夫と思われる、高身長ながらも適度に腹周りに脂の乗った、白髪まじりの初老の男もやや喧嘩腰に問い返す。
「それが、この1000円札が一緒に置かれてたのよ!! 気味悪いったらありゃあしない! ウーバーイーツって書いてるわね……店員の悪戯だか何だか知らないけど、ちょっと今から文句言ってやろうと思ってたのよ!」
「……それは気持ち悪いな。人様をそんなに金に苦労してるとでも思ってふざけてやがるのか!? ああ、腹が立つ奴だな。会社にビシっと言ってやれ!」
《第九話 A》 (筆者 パチビードク)
再び新一の懐古が始まる。
そう、僕は雫と同棲していた。同棲といっても別々にアパートを借りていた。しかしほとんど僕のアパートに入り浸りだ。すなわち半同棲みたいなものだ。
「新一さん、いつまでこの仕事しているの。新一さんは、いつまでもここでアルバイトしている人ではないわ」
僕も気付いていた。このままでは結婚など出来ない。そして、本格的に就職活動を始めた。
そのかいあって、ようやく正社員に採用された。
仕事は忙しく、毎日朝早くから夜遅くまで働き詰めだった。ほとんどヘトヘトになってアパートに帰った。
当然、雫と一緒にいる時間は減った。雫は自分のアパートへ戻ってしまった。
僕は内心ほっとした。
そして、あの事件が起こってしまった。
《第十話 A》 (筆者 物部木絹子)
その日もやはり雫が泊まりにきていた。このところの彼女はメンヘラ……と言えば聞こえが悪いが、正直ちょっと変になっていて、訳もないのに急に泣き出したり執拗に僕の行動を把握したがったりで手を焼いていた。かと言って簡単に別れを切り出すには難しい情も積み重なっていた為ズルズルと関係が続いていた感じだった。
その日の深夜2時頃だ。キッチンの方で雫が明かりを点けて何やらごぞごぞやっている物音で否が応でも目が覚めた。
「……おい、雫? 何やってんだ?」
「……」
動物本能的な、嫌な予感が背筋を伝う。
「ねえ。」
そう呟き、こちらに背を向け床に座っていた彼女がゆっくり半回転する。同時に自分の前に置いていた盥(たらい)のような物も動かした。
「私のせいなんだよね。私が悪いから、ちゃんと同棲さえもしてくれないんでしょ? 私の前世が殺人鬼だから。」
「……は?」
ふざけているのかと思いたかったが、鬼気迫る表情と喋り方がそれを許さない。
「占いでそう言われたの。
確かに私なんかダメダメだよ? ……ねえ、でも嫌だ……お願いだから一人にしないで!」
「さっきから何言って!?」
彼女の方に歩み寄り、盥が邪魔で移動させようと思った時だ。
「あつっ!」
指先に少し触れてしまい気づく。中には並々と熱湯が張られていた。
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