2)速さ(到達速さ)

最近になって本を読みますが、自分だけの考えも多いと思います。
しかしできるだけ客観的に、納得できる自然の認識
から初めて、自分の考えを書いています。
知識を得たい人はごめんなさい。
自然を探求する人の参考にでもなれば・・
ここが間違っているよー、という
部分も教えてほしい。

目次

0)物質(さわり)
1)位置と運動の相対性
2)速さ(到達速さ)(このページ)
  大地の上での速さ
3)速さのパラドックス
4)発生源の場
5)ドップラー効果
6)光速不変の検証
マイケルソンーモーレイの実験
そのたの実験、マックスウェルの方程式
同時性の検証

ちょっと前に書いた波と速さとを、できるだけわかりやすくしたつもりで主張しています。でも頭が痛くなるかもしれません。

2)速さ(到達速さ)
自動車が走る速さは大地に対する速さである。私たちは暗黙のうちに大地を基準として考える大地系の中にいる。
では速さって本当はなんだろうということをよく理解しているだろうか。
物体と波の速さをよく考えてみたい。

速さを考えるときに重要なことは2点の距離である。
2点とは2つの物体の位置である。物体だけが空間において位置を占めることができる。
余談だが物質は位置を占めるという意味でも空間と異なる、空間とは異質なものの性質を持つ3次元の領域(空間の一部)=「物質」である。

ある物体が移動=運動するためには必ず他の物体が存在しなければならない。観察者もまた物体である。

2つの物体の距離をどのくらいの時間をかけて到達したかが速さを作る。速さを持つのは物体だけではない。波もまた波源と到達点が存在し位置を持つ。そしてどのくらいの時間をかけて到達したかが計算される。
波源はもちろんであるが波の到達点も物体でなければならない。波は物体によってのみ検出されるからである。

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既に書いたように、2点の運動はどちらがどのように動いているとしても起こる結果は変わらない。観察者はどこにあってもよい。観察者のいる位置によって起こる結果が変わることはない。観察者の位置によって結果が変わるとすれば空間(宇宙)に特異点があることになるからだ。宇宙には特異点はなく、空間のすべての位置は等価である。

つまり、2つの物体はお互いの重力圏に入らない限り運動と位置において等価である。
重力圏に入るときは事情が異なる。

これらのことを踏まえて、最初の結論に戻る。
速さを考えるときに重要なことは2点の距離である。2つの物体(波の場合は波源と到達物体)の距離をどのくらいの時間をかけて、物体、あるいは波が、別の物体と出会うかが速さを作る。

この議論では速さを求めるために出会いまでの距離と時間とした。出会いでなくとも物体(被観察物)の観察者に対する位置は視角と観察者の距離から三角法で求めることができる。出会いがなくとも被観察物の観察者に対する位置と時間から被観察物の速さを求めることもできる。

しかしこの場合も、被観察物を離れた光は観察者に届いていなければならない。もちろん光でなくとも音でもよい。どんな波でもよい。波と物体が出会うことなしには速さを測ることができない。

出会いはかくも大切である。出会いは衝突であり、邂逅である。出会うことによってお互いが干渉して存在を知る。干渉するから事象が起こる。
出会いは物体同士だけではなく、波と物体も出会うことを今一度、書いておきたい。波と物体もまた干渉してお互いの存在を知る。もっとも波の側が物体に出会ったことを検出するすべを人類はまだ知らない。すべての観察は物体によってなされる。

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分子は出会って反応する
統計的な熱や、圧力などは
出会いの確率を決定し反応(事象)の速さ
(かかる時間)を決定する。

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波はセンサーに到達して波があることがわかる。
私たちも目に入る光により物事を観察できる。
センサーはもちろん物体(物質)である。

この先の速さの議論では出会う場合の速さを議論する。観察者が、被観察物の観察者に対する位置と時間から求める議論は、出会う場合の速さの議論と変わらない。波が観察者に到達するための時間の計算と、三角法による距離の求め方が難しくなるだけである。

○物体の速さ
観察者K1がいる。この観察者K1から見て物体Aが観察者K1の位置から時速60kmで遠ざかる。一方、物体Bが、観察者K1から66Km離れた物体Aと同じ直線上にある。
物体Bが時速6kmで物体Aに近づいてくる。この場合物体Aと物体Bは1時間後に出会う。物体Aと、物体Bは時速66kmで近づく。この出会うことと、速さは、観察者K1の位置や運動には依らない。観察者が物体Aと同じ慣性系(物体Aに対して静止)にあっても、物体Bと同じ慣性系にあっても、またまったく違う系にあっても物体Aと物体Bは時速66kmで近づき、出会う。

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物体は移動することによって出会う。この移動することによって出会う物体同士の速さを移動速さと呼ぼう。

○波の速さ
同じように観察者K1がいる。風は無く、観察者は媒体に対して静止している。音Aが観察者K1から発せられた。音Aは秒速330mで観察者K1から遠ざかって伝播する。物体Bが、観察者K1から330m離れた地点にある。音は1秒後に物体Bに到達する。観察者K1はこの事象を何らかの方法で観察することができる。音は媒体である空気中の音速、秒束330mで物体Bへ伝播して到達する(届く)。
波の媒体の中を伝わる速さを伝播速さと呼ぼう。

一方、物体Cが、観察者K1から340m離れた地点にある。物体Cは観察者K1(音源)に
向かって秒速10mで近づいてくる。この場合も音Aは物体Cに1秒後に到達する。
音Aと、物体Cは協調して340mを1秒で到達した。

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速さを考えるときに重要なことは2点の距離である、と言うことを思い出して欲しい。
音は340mの距離を1秒で到達したことを疑わないでもらいたい。見かけの速さは秒速340mである。見かけの速さというが、実際は見かけではない。実際に観察される、音が到達するまでの速さが340m/秒である。
見かけの速さという言葉で、私たちは物理現象を幻惑させられている。媒体の中の音速は330m/秒であるが、到達する速さは340 m/秒であり、実際に起こる現象を解析するためにはこの340 m/秒を使わなければならない。出会うことが事象を作るからである。
音源と物体Cの距離は340mであり、音Aはその距離を1秒で到達した。
音は媒体の中を330m/秒で進み、物体Cは媒体の中を10m/秒で進んだ。結果として、音と物体Cは340m/秒で近づき、1秒後にであう。これを物体Cから見れば、音が340m/秒で近づいてきて1秒後に出会う、と表現できる。
実際に物体Cは自分の傍らを340m/秒で音が通過するのを観察する。つまり、物体Cの近傍の短い距離で音速を測定すれば、音速は340m/秒と観測される。もちろん風速も10mであることも観測する。私たちは風速が10mであることをもって、実際に観測さえる音速340m/秒から10m/秒を引いて、音速は330m/秒であるという。媒体中の速さはその通りであるが、物理現象により重要な、出会うまでの到達速度は340m/秒である。こちらの速さが事象を解析するのに重要である。
この説明のどこかが違うのだろうか。
この到達するまでの速さを到達速さと呼ぼう。

ここで物体Cを静止させて、音源と、媒体を秒速10mで物体Cの方向に動かしても起こる事象は変わらない。この場合音は秒速10mの風の中を音が伝わって観測者Cに対して、秒速340mで伝搬している。運動の相対性からは当たり前の話である。

物体同士の場合はその移動速さが到達速さとなる。
波の場合は波の伝播速さと、媒体に対する物体の速さを合わせたものが到達速さとなる。

○出会いまでの速さが大切
観察される速さは移動速さでも、伝播速さでもなく到達速さのことである。
なぜ到達速さが速さとして重要であるかは、全ての事象は出会う、到達することによって起こるからである。私たちが目にする光景は光という波が目に届いて見えるものであり、化学反応も、物理的な衝突も、物体同士が出会い、なしうるものである。
またこの出会いが時間を作ることも、後で明らかにする。

波の速さは伝播する速さ=伝播速さであり、物体同士の速さは移動する速さ=移動速さである。波にも、物質にも伝播して、あるいは移動して到達する位置がある。到達する位置は必ず物体で無ければいけない。位置が分かる何かが無いといけないというだけのことである。観察者も物体である。空間の領域が区別された物体=物質(空間の領域の物の質)がそこには必要である。物体以外に位置を確定できる存在はない。

○大地の上での速さ
私たちは自転する大きな地球の上で、体感上はほとんど感じない遠心力の大地の上に住んでいる。自然現象の中で潮汐力(潮の満ち引き)やコリオリ力(台風の渦の向き)で、かろうじて自転を解き明かすことができる。潮汐力はまた太陽の周りを回っていることによる小さな遠心力の結果の力との合成でもある。

しかし、日常的な視覚や、体感(体重や、カーブを曲がるときの圧力)で地球の自転や公転を感じることはない。あたかも大地が、静止して無限に広がるとみなしている。だから単に車が時速60Kmというような表現をする。地点Aから地点Bまでの距離を1時間かけて移動し、速さは時速30Kmという表現をする。
その延長で物体が光速に近くなるとなど、と表現する。しかし、物体が光速に近くなるということは無い。単独の物体が速さを持つこともない。物体は何かに対して速さを持つのである。
すこし理屈をこねすぎたかもしれない。観察者に対して光速になると厳密に表現すべきである。あるいはサイクロトロンなどの加速器に対して光速に近くなると厳密に表現して、考察すべきではないだろうか。
宇宙(=空間)において大地は基準ではないし、宇宙に対する速さは存在しない。

○直感的なものの捕らえ方
私たちの自然の認識の感性から大きく離れてしまった物理学を、もう少し私たちの感性に近い形で書くことができないか。何がアプリオリな(直感的な)考え方を邪魔しているのか、誤解しているのか。そんなことを考えながら書いたものです。
もっと平坦で、シンプルで、それでいてダイナミックな自然の姿を浮かび上がらせたい。

筆者:hayana

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