波と速さと

波と速さと
運動の相対性を深く考えてみよう。

波の場合には波源と、媒体と、観察者という3つのものが対象になる。
波源は中間観察者としてもよい。波源と、観察者は、中間観察者も
すべては物体である。物質以外に波を観察できる存在はない。
音も光も電波も海の波も観察するものはすべて物質つまり物体である。
この物体と、媒体の運動を考えてみよう。
まず、媒体と、物体が相対速度を持つことができるかということがある。
音の場合は風が吹けば風下には、音は速く伝わるから、音源も、
観察者も媒体に対して相対速度を持つ。媒体が空気という物質で
あるから異論はないだろう。音以外でも波としての本質、
ある位置での状態が繰り返されて伝搬して行くことにはすべての
波に共通である。
媒体が物質であるすべての波は、波源、観察者、媒体のすべてで
運動の相対性が成り立つ。みかけの音速が風に影響される
ことからも明らかである。

ここで速さについてもう一度考えたい。
一つの物体 A が時間 t1 をかけて、距離 l1 を移動する
厳密にはこの問題は正しくない。というか、大地系でのと言う
暗黙の了解がある。
大地の上にいる観察者 B から見た距離と時間を基にしている。
ここでは大地は当事者ではない。観察者の位置と運動の拠り所、
なんかいい表現が見つからい。大地を取り払って考えれば、
観察者と言う物体と観察される物体の2つの物体の相対運動である。
何度も言うが、一つの物体は単独では運動するとか、
位置が変わると言うことはない。常に何かに対して運動して、
何かに対して位置が変わる。

この問題のA の速さ v1 は v1=l1/t1 である。
言いたいことを簡単にするために、観察者は物体 A の到達点
にいるものとする。
位置も運動も相対的であるから物体 A が動いているとしても、
観察者 B が動いているとして考えても起こる現象に違いはない。

大地を登場させよう。この大地から見て
AはBの99倍の速さで近づいているものとしよう。
ほとんどの距離をAが移動する間にBは少しだけAに近づく。
そうしてある時間がたつとAとBは出会う。
この場合の物体 A の速さは v1x99/100 と言うのだろうか。
それとも v1 なのだろうか。観察者も物体であり、
位置と運動の相対性が適用される限り固定して(静止していると)
考えるべきである。
この場合は物体 A は速さ v1 で観察者 B に近づき時間 t1 後に出会う。
当たり前のことであった。

しかし音速での説明では違ってくるように思える。
音速は空気(媒体)の中で一定であり330m/秒で変わらない。
(温度や、気圧が変われば音速は変わるが。・・・)
空気(媒体)中を10m/秒で音源に
向かって移動する観察者がいる。
その観察者から340mはなれた音源から
音が発信する。観察者は1秒後に音を聞く。
この場合の見かけの音速は340m/秒である。
観察者を静止させて考えれば、「見かけ」ではなく
音速が340m/秒というべきではないか。
もちろん媒体の中を伝播する音の速さは330m/秒ではある。

物体の場合は合成された、あるいは観察者を静止させて
観察される速さを、速さという。
音の場合は合成された、あるいは観察者を静止させて
観察される速さを「みかけの」速さという。
音の場合はむしろ、物体の説明で説明したように
媒体に対して静止した見えざる中間観察者とでも
言うべき観察者からの速さでいうような気がする。
上記の説明で物体 A の速さは v1x99/100 で
観察者が v1x1/100 の速さで近づくという見方が
音速の場合のように思える。この場合の合成された速さ
v1 を音の場合は見かけの速さと呼んでいる。

何がどうなっているのだろうか。
なぜ私たちは音速(波)の場合は見かけの速さと言い
物体の場合は速さというのか。
実際に観察結果に合致するのは見かけの速さである。

媒体の中を伝わる速さと、観察者に到達する速さは
違うということをもっと際立たせないといけない。
音速は媒体の中を伝わる速さのことである。
観察者が観察する速さは到達する速さである。
波の場合はこの媒体速度と、到達速度の2つがあり
観察されるのは到達速度(みかけの速さ)である。
従って、見かけの速さは音速ではない。
音速とは媒体の中を進む速さであり、
音速不変の理が存在すると言ってよいと思う。

また音の場合は観察者が媒体の中を移動することができ
その相対速度が到達速度に影響する。

以上のことは電磁波でも状況は同じと考えられる。
(媒体中を物体が移動できるかという考察は別にして)
いつか電磁波についても掘り下げてみよう。

・・・・ 静止とは
私たちは大地系が圧倒する地上で、大地を静止させて
すべての物事を考える「大地静止系」とでもゆうべき
思考の中にいる。単に静止させるとは大地に対して
静止させることになる。その大地は短い時間なら
無視できるくらい大きくて、ゆっくりと独楽のよう
に回り、また太陽の周りを回り、銀河の中で運動している。
さらにその先で運動は、大きな銀河星団へと続き、
きりがない。ま、どんな運動しているのか、
運動していないのか誰にも知る由がない。
こんな運動の中で静止しているという表現で大地に
固定された系を考えている。

方向が変わる自転や公転などの
回転運動ではまた別の考察が必要だ。


筆者:hayana

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です