デリバリー物語《第六話 A》
色々と思うことはあったが、新一は女を無視することにした。
悪人になるつもりはないが、歓んで善行をするつもりもない。トラブルに巻き込まれるぐらいなら無視してしまおうと思ったのだ。
新一はただ前だけを見て女の背後を通過する。これで何事もなく……
「…………」
髪をかき上げていたことを思い出した。そうだ、左側の髪をかき上げて耳に乗っけていた。振り向きさえすればあの奥さんの顔の左側を見ることができるのだ。
「…………」
もはや反射的に振り向いていた。
「…………」
「…………」
そして新一の目に映ったのは、顔の左半分を手で隠してこちらを振り向く女。
目と目が合った。
その目は欄干の下にある川よりも深い深い黒色に塗られていた。
新一は何事もなかったように前に向き直すと、変わらぬスピードで自転車を漕ぐ。
雨脚が強まったのを新一は感じていた。
筆者 ユーハバッハ正義
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