時間の話 3/4

さてこうして、移(うつ)ろい行くもの
状態や、位置が変わる、温度が変わるなど、を
観察すると、高等生命は「間」の感覚を生じます。
あるいは、自身のお腹が減った感覚や、
老いていく体、太陽の毎日の運動、
天体の運動などを見ても、「間」の感覚を
生じます。「間」の一番の原点はお腹がすいたり
お湯が冷めるような小さなエネルギー
遷移です。

この「間」は空間と時間に共通の感性、
「間」の覚えで「間覚」と言いたいと思います。
隔たったものという感性です。
「間覚」は視覚に訴える、空間と、主に状態の
変化を感じて、頭の中で捉える、
時間に共通のものです。
空間は視覚に訴えて、距離などをはじめとする
3次元の量を生みます。時間は頭の中で捉えて
変化の相対値、を生みます。

日がさして、太陽の位置が変わり、
傾き始めると、洗濯物が乾きます。
あるいは、コンロに火をつけて、
短いお線香が燃え尽きると、
お湯が沸きます。
これらの表現には時間の表現が
無いことに注目してください。
動作と、状態だけです。

時間とは動作=エネルギー遷移と
別のエネルギー遷移(動作であったり、
状態であるかも知れません)の
相対的な比較のために
周期運動の周期を基準として当てたものです。
お金が様々なサービスや、物品の交換=
価値の比較の基準となっているのと似ています。

時間は様々なエネルギー遷移の相対的な
激しさや、やさしさを比較する基準に
過ぎません。
お線香が燃え尽きるまでの間と、
やかんが沸騰するまでの間の共通の
基準として、周期運動の周期の数を
当てます。この動作や、状態の「間」自体が
時間で、「間」の単位が周期運動の周期です。
動作や状態の「間」が先にあり、
そこから時間が生まれたというように
考えましょう、と言いたいのです。

「間」は時間そのものとは違います。
あくまでも、時間と、空間に共通の
隔たったものという感性=「間覚」です。

周期運動の周期の数は、様々な系で
共通の「間」を生みますが
こちらはいくら数えても、時間は
経ちません。もちろん数えることにより
観察者の時間は経ちますから、それを除けば
という条件で、時間は経ちません。
時間が経つためにはエネルギー遷移が
必要だからです。

4へ続く

筆者:hayana

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