時間の話 4/4
1日はもちろん、地球の自転周期です。
1年は太陽の周りを回る地球の公転周期です。
周期運動は、例えば「1KWの電気を1分間加えると
10リットルの0度の水がXX度になる。」という表現を
「1KWの電気を1リットルの0度の水がXX度になる
まで加えると1分間の時間が経つ。」
と変えれば、時間はエネルギー遷移するから
経つと言うことが分かると思います。
それでは、1KWの電機を加えなければ時間は
経たないのだろうか。それは最初の石に刻まれた
文字の話に戻る。私はエネルギー遷移しなければ
時間は経たないと考えてよいと思う。
そんなバカな!、と言わないで欲しい。
このブログの2話目にある、
ローカル法則と、ユニバーサル法則を
見て欲しい。また、人は地上の出来事に
慣らされていて、地上で見聞きすること
から、物事を考える。地上はエネルギー遷移が
激しく起こっている環境である。このような
環境の中ではぐくまれた感性は、エネルギー
遷移があって当たり前の世界しか知らない。
時間は必ず経つと考えて当然である。
宇宙の果てでもあまねく一様に経って
行くという、背景時間の考え方である。
その中で、エネルギー遷移の基準として
地球の自転という周期運動を選んだ。
それは生命の活動にも深く根ざしている
ごく当たり前の選択である。
その自転をさらに24で割り、60で割り、
もう一度60で割り、1秒とした。
現在科学では地球の自転の精度が悪いということで
セシウムの原子の振動を基準として1秒が
決められている。
このセシウムの周期運動が、エネルギー遷移を
伴うものであるかは知らない。
宇宙の果てでも、周期運動の周期は
同じであろうからその意味では時間は
あまねく経つということができる。
さて、宇宙の果てでもお金は同じ価値を
持つだろうか。同じ周期運動の周期で、
同じだけのエネルギー遷移が起こるだろうか。
まったく同じ条件なら、やはり、短いお線香が
燃える間にお湯が沸くだろう。
それは、周期とエネルギー遷移の関係は
宇宙の何処でも変わらない、ということ
を示すのみである。時間が宇宙の背景で
あまねく流れることを示していない。
別の考察もしてみよう。
環境により、エネルギー遷移の
激しさは違うから、時間の経ち方が変わる。
時間が経つことを観測するためには
周期運動の周期を数える必要がある。
それは生命が生きて、自身の
エネルギー遷移を通してのみ
可能なことである。
数えることは必ずエネルギー遷移を伴う。
さらに、周期運動の周期が
環境が違う遠望でも同じかどうか
比べる術を人を含めた全ての存在が
もち得ないことも事実である。
このことは時間の第2の考察で又書きます。
唯一考えられる周期の比較の方法として
ありそうなことは、録画して、もう一方の
周期運動の近くで再生することかもしれない。
それでも、録画機に詰まれた同期装置は
は2つの異なる環境で同じ周期で
運動するだろうか、という疑問は残る。
さて、時間が経って変化(エネルギー遷移)するのか、
変化(エネルギー遷移)があって時間が経つのかは
考えやすい、今までと同じ考え方のほうが
分かりやすくて良いではないか、といわれそうです。
でもそれは、時間さえ経てば、変化(エネルギー遷移)を
必ず生じるという、意識を植えつけてしまいます。
時間の基準は周期運動の周期ですが、
その環境の中で単位周期あたりどれだけの
エネルギー遷移が起こるかが重要です。
エネルギー遷移が激しいところは時間が
速く進むといえます。老化も激しいだろうし
物事はすぐに変わってしまいます。
以前書いた、地球の2倍の大きさの惑星で、
自転周期が半分で、全ての濃度が薄いところに
生まれた高等生命ははゆったりとした
時間の流れを感じるはずです。
全ての変化がゆっくりと起こります。
地上では地球の環境により、その速さで
エネルギー遷移が起こり、その進む速さを
あたり前のものとして受け入れています。
地上では上から下へ物が落ちるので、
地球が宇宙空間に浮いていると認識されるまで
文明の発達を待たなければなりませんでした。
「時間の話」完
筆者:hayana