欺瞞か、詭弁か、はたまた真実か
いくつかの命題とでも言えるものをあげたい。
1)膨大な演算(処理)をすれば情報(人にとって
あるいは、生命の遺伝子情報ような自然の中で
有意なビットの配列)がより少ないビットから
得られるだろうか。
補足 少なくとも生命の発生(この発生は
生命が出現するということではなく、
受精卵や、種子から命が大きく成長する
ということです。)や、進化はその様な経路を
たどっているように私には見える。
2)生命は揺らぎのいいとこ取りの産物ではないのか。
地球外からやってきたものではない。木星の衛生でも、
火星の上でも条件があえば揺らぎから自然に発生する
どこ彼処にもある摂理である。進化もまた然りである。
3)大きな母数の確率論は小さな母数の確率には
従わないのではないか。
この3番目の命題を言い出すとひかれてしまうと思うが、
どうもそのようにおもう。
絶対あらわれない事象が、結構現れているように思う。
たとえば16の目の出るさいころをつくり、256回ふる。
計算すればすべての目の出る確率がでる。これを実際の
プログラムでやると確率に従わなと思われる結果になる。
もっと大きな数でやると明らかに従わなくなる。
プログラムが悪いのだろうか。
でも一定の評価はこの悪いプログラムで
できてしまう。
揺らぎのかすめ取りや、いいとこ取りの確率がないと
命は生まれないし、進化もしない。
私が言っている宇宙を行き交う電磁波からも質量は生まれない。
このいいとこどりが本当に実現できるかプログラムを
書いてみた。結構いいところまでいく。
もう長いことこんなバカなことやっていて
最後にするりと逃げられてしまう。逃げても追いかけて
逃げても追いかけて今回はどうなのだろう。
ひょっとすると世界は私たちが考えてるものとは
違うのかもしれない。そのような結論が出そうな
ところに来ている。処理によっては確率のいいとこ
取りができてしまいそうなのだ。
欺瞞か、詭弁か、はたまた真実か。
この先のプログラムの結論で分かる。
しかしそんな馬鹿なことは起こらないのだろか。
それならばなぜ生命が誕生したのだろうか。
筆者:hayana